u/Away_Trash_2156
スパイダーマン見たよ ネタバレ有り
>!パニッシャーがまさかあんな良い感じのキャラになるとは思わなかった。正直パニッシャーへのイメージってオレアクニンコロスのキリングマシーンだったから!<
>!あとカプ厨かもしれないんですけどジェーン結構キテると思うんですよね?みんなはどう思う?!<
安重根と汎アジア主義
安重根は、日本と韓国のナショナリズムが最も激烈に衝突する歴史的原点の一つであり、同時にその象徴ともいえる人物である。
しかし、日韓両国における安重根の一般的なイメージは、「伊藤博文を暗殺したテロリスト」あるいは「民族独立のために命を捧げた義士」という二つの極端な像に分かれがちである。その一方で、彼がどのような思想を抱き、なぜ伊藤博文を暗殺するに至ったのかという「思想家としての安重根」については、十分に注目されているとは言い難い。
安重根の思想を詳しく見ていくと、彼は必ずしも単純な「反日」や「朝鮮独立」の思想家ではなかったことが分かる。むしろ彼は、日本を東アジアの近代化を先導した国として一定の評価を与えていた。明治維新によって近代化を成し遂げた日本は、韓国や中国にとっても一つのモデルとなり得ると考えていたのである。
だからこそ、彼が批判したのは日本そのものというよりも、日本がその近代化の成果を帝国主義的な拡張へと利用していくことであった。韓国併合や旅順・大連の租借など、日本が東アジアにおいて勢力を拡大していく政策を、彼は東アジアの平和と発展を阻害するものとして捉えた。
この思想の先にあったのが、いわゆる「東洋平和論」である。安重根は、日本・韓国・中国が互いに敵対するのではなく、それぞれの独立と発展を尊重しながら協力することで、東アジア全体が西洋列強に対抗し、近代的な発展を遂げられると考えた。
その意味で安重根は、単純な朝鮮民族主義者というよりも、より広い視野から東アジアの未来を構想した汎アジア主義的な思想家として捉えることができる。
彼が伊藤博文を狙ったのも、単純に「日本人だから」という理由ではなかった。安重根にとって伊藤は、明治維新を成し遂げた日本の指導者であると同時に、その日本を帝国主義的な方向へ導き、韓国併合などを推進する政治勢力の象徴でもあった。だからこそ彼は、伊藤を日本そのものの象徴ではなく、東洋の平和を損なう政治の象徴として捉えたのである。
さらに興味深いのは、安重根が当時の日本の政治構造について一定の理解を持っていたことである。彼は天皇そのものと日本政府・政治家を同一視せず、天皇が実際の政治的決定を直接行っているわけではないことを認識していた。そして伊藤らを、天皇の意思に背いて帝国主義的政策を推進する「背信者」として批判した。この点は、安重根を単純な反日思想家として理解することの難しさを示している。
もちろん、安重根の思想を現代的な価値観からそのまま「東アジア統合論」や「現代的グローバリズム」と同一視することには慎重であるべきだろう。しかし、彼が国境を越えた東アジアの協力と平和を構想していたことは注目に値する。
グローバリズムが進展し、日本・韓国・中国を含む東アジアの相互依存がますます深まっている現在だからこそ、安重根を「伊藤博文を撃った人物」という一点だけで理解するのではなく、彼が何を目指し、なぜそのような行動に至ったのかを改めて考える意味は大きい。
彼を、近代東アジアが西洋列強の圧力と帝国主義の中でどのように生き残り、発展していくべきかを考えた思想家として捉え直すこと。そして、日本・韓国・中国が過去の対立を乗り越え、東アジア独自の国際協調のあり方を模索する際の思想的な一つの出発点として再検討することには、大きな意義があるのではないだろうか。
台風がそろそろ本格的にくるぞー
飛びそうなものは中に入れるか重しを置きましたか?
充分な飲食物…そしてお菓子は買いましたか?
暇潰しにやるゲームはもう決めましたか?
皆で無事に乗り切りましょう!
最近モヤモヤしたこと
台風13号が熊本行かないでよかったねーと思ってたら、台湾が引き受けてくれたんだみたいな意見が延びててめちゃくちゃモヤモヤした。
道中の我が故郷沖縄は暴風域にすっぽり入るんだけど忘れてるのかな…ちょっと悲しい
もしかして日本本土だと琉球三山時代は無名なんでしょうか?
歴史が好きなので、同じく歴史好きの方々と交流する機会がよくあります。最近、琉球三山時代について話したところ、相手に少し怪訝な顔をされました。皆さんは、この時代がどれくらい知られていると思いますか?
沖縄の美しさを再確認する
ここに産まれて長年を過ごすと風景も見慣れてしまい美しいと感じることは少なくなるが、時折空や海を見るとその美しさを思い出す
幽霊
どの時間帯に幽霊を見るのが一番怖いだろうか。
やはり深夜だろうか。それとも古来よりあの世と現世の境目とされた夕方だろうか。(どうでもいいが、「逢魔が時」や「誰そ彼時」といった夕方を表す言葉は妙に格好いい。)
もちろん、夜の廃墟で幽霊を見たら十分に怖いだろう。しかし私は、それよりも昼間、それもよく晴れた日に何でもない場所で幽霊を見る方が、よほど恐ろしいと思う。
夜に曰く付きの廃屋へ行き、そこで幽霊を見たとしよう。確かに恐怖は感じるだろう。だが、自分の中でいくらでも言い訳ができるのではないだろうか。
「あれはパレイドリア現象だった」「暗闇で見間違えただけだ」「パニックやヒステリーによる錯覚かもしれない」といった、もっともらしい説明はいくらでも思いつく。
なぜなら、そこは夜という視界の悪い環境であり、廃墟という物が散乱した複雑な空間だからだ。
さらに私たちは、「曰く付きの場所なら幽霊がいてもおかしくない」と、どこかで納得してしまうのではないだろうか。
例えば、ライオンが生息している地域でライオンを見つけたら怖いだろう。しかし、それは理解できる恐怖でもある。そこには「ライオンがいる理由」があるからだ。
幽霊も同じである。曰く付きの場所で「うらめしや」と現れたなら恐ろしい。しかし、そこには理由がある。
では、何の曰くもない公園で遊んでいたとする。その公園のど真ん中に、幽霊がただ立っていたらどうだろうか。
そこには理由がない。
本来そこに存在するはずのないものが、ごく当たり前のように存在している。その不自然さこそが恐怖なのだ。
そして、理由のない存在であるならば、次に何をするのかも分からない。
未知の生物が目の前に現れたとしても、安全な対処法など思い浮かばないだろう。それと同じで、理不尽な存在は理解できないからこそ恐ろしい。
これらの理由から、私は昼間、それもよく晴れた日に、何でもない場所で幽霊を見るのが一番怖いと思う。
為朝伝説
源為朝を知っているだろうか。
簡単に説明すると、源為朝は平安時代の武士で、並外れた武勇で知られた人物である。保元の乱で敗れ伊豆大島へ流された後、さらに反乱を企てたとされ、最終的には討たれたと伝えられている。
このような豪傑には各地で生存伝説が生まれることが多い。源為朝も例外ではなく、日本各地に伝説が残されている。
その中でも特に興味深いのが琉球王国の伝承である。琉球王国の正史『中山世鑑』には、初代国王・舜天王(しゅんてんおう)は源為朝の子であると記されている。
なぜ本土の武将が琉球王国の建国神話に登場するのだろうか。
その背景としてよく指摘されるのが、正史が編纂された時代である。『中山世鑑』が成立したのは、1609年の薩摩侵攻後、琉球王国が薩摩藩の支配下に置かれた時代だった。当時、徳川将軍家や薩摩藩島津氏は源氏とのつながりを重視しており、琉球側にも王統を源氏へ結び付ける動機があったと考えられている。
この正史を編纂したのが、琉球王国の政治家・羽地朝秀である。彼は当時広まっていた「源為朝が琉球へ渡った」という伝説と舜天王を結び付け、王家を源氏の血統へ連なる存在として描いた。これにより、薩摩支配下の新たな政治体制との親和性を示そうとしたという見方が有力である。
誤解のないように言えば、羽地朝秀は決して奸臣ではない。むしろ彼は沖縄の五偉人の一人に数えられるほどの優れた政治家である。旧来の制度に限界を感じていた彼は、薩摩との関係を利用しながら王国の改革と立て直しを進めようとした。
これは幕末、薩摩藩や長州藩が西洋列強との戦いで敗北した後、その制度や技術を積極的に取り入れ、日本の近代化を推し進めた動きにもどこか通じるものがある。
もっとも、羽地朝秀の改革は王国の存続を目指したものであり、後の日本への併合まで見通すことはできなかった。結果として琉球王国は1879年に日本へ編入され、その歴史に幕を下ろすことになる。
為朝伝説
源為朝を知っているだろうか。
簡単に説明すると、源為朝は平安時代の日本の武士で、並外れた武勇で知られた人物である。保元の乱で敗れ伊豆大島へ流された後、さらに反乱を企てたとされ、最終的には討たれたと伝えられている。
このような豪傑には各地で生存伝説が生まれることが多い。源為朝も例外ではなく、日本各地に伝説が残されている。
その中でも特に興味深いのが琉球王国の伝承である。琉球王国の正史『中山世鑑』には、初代国王・舜天王(しゅんてんおう)は源為朝の子であると記されている。
なぜ日本の武将が琉球王国の建国神話に登場するのだろうか。
この謎を読み解くには背景情報を見る必要がある。それは正史が編纂された時代である。『中山世鑑』が成立したのは、1609年の薩摩侵攻後、琉球王国が薩摩藩の支配下に置かれた時代だった。当時、徳川将軍家や薩摩藩島津氏は源氏とのつながりを重視しており、琉球側にも王統を源氏へ結び付ける動機があったと考えられている。
この正史を編纂したのが、琉球王国の政治家・羽地朝秀である。彼は当時広まっていた「源為朝が琉球へ渡った」という伝説と舜天王を結び付け、王家を源氏の血統へ連なる存在として描いた。これにより、薩摩支配下の新たな政治体制との親和性を示そうとしたという見方が有力である。
誤解のないように言えば、羽地朝秀は決して奸臣ではない。むしろ彼は沖縄の五偉人の一人に数えられるほどの優れた政治家である。旧来の制度に限界を感じていた彼は、薩摩との関係を利用しながら王国の改革と立て直しを進めようとした。
これは幕末、薩摩藩や長州藩が西洋列強との戦いで敗北した後、その制度や技術を積極的に取り入れ、日本の近代化を推し進めた動きにもどこか通じるものがある。
もっとも、羽地朝秀の改革は王国の存続を目指したものであり、後の日本への併合まで見通すことはできなかった。結果として琉球王国は1879年に日本へ編入され、その歴史に幕を下ろすことになる。
外国の人って合成音声系の動画見ないのかな?
体感の話にはなりますが、ゆっくり実況やボイスロイド実況等の合成音声系の動画に外国の人がコメントしてるのって少ないなと思いまして
韓国人くらいな気がします。見かけるのは
日本でミリオタやるのキツい
ミリオタだけど日本でミリタリーに興味あるとか言うと異常者確定だからキツイ
アメリカとかだと銃めちゃくちゃ持ってる人が多くて羨ましいわ
同じような悩み持ってる人おる?
Is Korean food in Japan different from authentic Korean food?
I'm Japanese, and I've recently become really interested in Korean food. I'd love to visit Korea someday and try authentic Korean cuisine.
However, I've heard that Chinese food in Japan has been heavily adapted to Japanese tastes and is quite different from what you'd find in China. That made me wonder if Korean food in Japan is the same.
If you've tried Korean food both in Japan and in Korea, I'd love to hear your thoughts.
下の妹(9歳)が全然寝ない
最近、下の妹がこの時間くらいまで平気で起きてるんですけどどうすればいいと思いますか?
私が小学生の頃は9時くらいには寝ていたのでなんでこの歳でここまで夜更かし出きるのか分かりません…
実はうちなーぐちじゃない…うちなーやまとぅぐちについて
現在の沖縄県民の多くは、伝統的な沖縄方言(ウチナーグチ)を話すことができません。しかし、方言から標準語へと移行する過程で、両者の中間に位置する新たな言語変種が生まれました。それが「ウチナーヤマトグチ」です。「ウチナー」は沖縄、「ヤマト」は日本を意味します。
琉球王国が日本に編入された後、学校教育における標準語普及運動や標準語によるメディアの発展によって、伝統的な方言話者は次第に高齢者に限られるようになりました。その結果、若い世代には土地の方言が分からない、あるいは聞き取れても話せない人が増えていきました。一方で、普及した標準語も沖縄方言の発音や語彙、表現の影響を強く受けることになります。
さらに第二次世界大戦後、沖縄は米軍統治下に置かれ、本土との交流が長期間制限されました。そのため、本来の標準語とは異なる意味や用法、誤読などが修正されることなく定着し、伝統的なウチナーグチとも標準語とも異なる独自の言語変種が形成されました。これが「ウチナーヤマトグチ」です。
代表的な例として、「おじい」「おばあ」という呼び方があります。現在では高齢の男性・女性を指す言葉として広く使われていますが、伝統的な沖縄方言では、高齢な男性は士族であれば「たんめー」、平民であれば「うすめー」、女性はそれぞれ「ぅんめー」「はーめー」と呼ばれていました。
このような言語の変遷自体は沖縄に限ったものではなく、日本各地でも見られます。しかし沖縄では、米軍統治による本土との長期間の分断という特殊な歴史的背景も重なったことで、他地域とは異なる発展を遂げ、伝統的なウチナーグチとも標準語とも異なる独自の言語変種である「ウチナーヤマトグチ」が生まれたのです。
実はうちなーぐちじゃない…うちなーやまとぅぐちについて
現在の沖縄県民の多くは、伝統的な沖縄方言(ウチナーグチ)を話すことができません。しかし、方言から標準語へと移行する過程で、両者の中間に位置する新たな言語変種が生まれました。それが「ウチナーヤマトグチ」です。「ウチナー」は沖縄、「ヤマト」は日本を意味します。
琉球王国が日本に編入された後、学校教育における標準語普及運動や標準語によるメディアの発展によって、伝統的な方言話者は次第に高齢者に限られるようになりました。その結果、若い世代には土地の方言が分からない、あるいは聞き取れても話せない人が増えていきました。一方で、普及した標準語も沖縄方言の発音や語彙、表現の影響を強く受けることになります。
さらに第二次世界大戦後、沖縄は米軍統治下に置かれ、本土との交流が長期間制限されました。そのため、本来の標準語とは異なる意味や用法、誤読などが修正されることなく定着し、伝統的なウチナーグチとも標準語とも異なる独自の言語変種が形成されました。これが「ウチナーヤマトグチ」です。
代表的な例として、「おじい」「おばあ」という呼び方があります。現在では高齢の男性・女性を指す言葉として広く使われていますが、伝統的な沖縄方言では、高齢な男性は士族であれば「たんめー」、平民であれば「うすめー」、女性はそれぞれ「ぅんめー」「はーめー」と呼ばれていました。
このような言語の変遷自体は沖縄に限ったものではなく、日本各地でも見られます。しかし沖縄では、米軍統治による本土との長期間の分断という特殊な歴史的背景も重なったことで、他地域とは異なる発展を遂げ、伝統的なウチナーグチとも標準語とも異なる独自の言語変種である「ウチナーヤマトグチ」が生まれたのです。
県外ではマイナーなお菓子、ウムクジ天ぷら
ウムクジとは沖縄の方言で芋くずを意味しています。
天ぷらと名前に入っていますが、まるでお餅のような食感で紅芋ならではの素朴な甘みが油ともに染み出してきます。(同時に油っぽいのが欠点ですが…)スーパーのお惣菜コーナーではほぼ確実に売られているので皆様も是非買ってみてください!
Which do you support: a multiethnic empire or a kingdom based on a single ethnic group?
I support multiethnic empires. The Austro-Hungarian Empire is my favorite.